2015年09月10日

カモ

kamo.JPG

池で園児たちが

カモーン、カモ!!
カモーン、カモ!!

と大合唱してたら
カモ君がホントに来ました。

posted by AMR at 20:33 | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年09月05日

『ホワイトレイの哲学』A

(編者[A.W.AUSTEN]序文より)その2




 私たちがはじめてホワイトレイの声を聞いたのは戦争初期で、ポーレットと私がJ・デイトン・パトモア―ある者は「光の魔術師」と呼んでいた―との一連のシッティングを行なっていたときである。私たちは彼の発明品の明かりの色々なものを試していた。青色灯を点灯したときに、通常地上の範囲外にあると思われる霊的界層と、妻のトランス能力を通して接触したことに気付いた。あきらかに偶然に地上と接触を持つための好条件を提供したのだ。その最初のコミュニケーションがおそらくその後の接触をとることを可能にした。教師はさまざまなテーマの問題について答え、明らかにした。お名前はと私たちに問われ、この教師―もしくはのちに知ることになるように教師群―はホワイトレイという名前を選んだ。彼の言うにはそれは国籍や性別を連想させないよう特に選んだそうだ。便宜のために私たちは彼を一人の個人として呼ぶが、そうでないことを私たちは知っている。継続した同じメッセージの中で別の人格が現れていることを他の霊媒は見ているからだ。
 
 これは数週間続きそれから戦争状態のために解散を余儀なくされたが、私が海軍を除隊してはじめて、またふたたびホワイトレイが現れるためのほぼ満足のゆく同様なコンディションを作り上げることができた。新しいサークルが結成され、ホワイトレイはいかなる主題に関する疑問にも答える意思を表明した。霊能を発達させる期間は不要だった。私たちはコンディションを提供し、それはまるでインスピレーションの源と電話的なコミュニケーションをとるかのようだった。ホワイトレイは(とても謙虚に言うのだが)私たちと彼との隔たり(距離的でなく波長的に)はあまりにも大きいため、彼が私たちと接触するためには他界との間に数名の霊媒を置くことが必要だという。オースティン夫人の個人的指導霊であるローラはそれらの霊媒のひとりにすぎないが、ホワイトレイは愛すべき元気にあふれた性格のローラに対し彼が現れるために欠かせない存在として賛辞を送っている。
 
 ホワイトレイはこれまで一度も、どうせ言っても分からないだろうからといった理由で質問を受けつけなかったことはない。彼いわく彼の仕事は理解させることであって、もしその答えが不明確なら私たちは疑問の余地がなくなるまで問い返さなければならないのだ。しかし他の霊の教師と同様、彼は言われたことすべては私たち自身の理性で判断しなければならないと主張する。もし説かれる何かが非理性的だと思われるなら、それがどんなソースからやってくるものだとしても拒絶しなくてはならないのである。
 
 戦後に開かれた最初のシッティングのメモ書きはサイキックニュースの私の前任者であるスチュアート・マーチンに見せられ、彼はぜひとも出版すべきだと力説し、それで妻は公表したくないという彼女の意見をしぶしぶ引っ込めた。それ以来ホワイトレイの与える回答はことごとく出版に値するものとなっている。ひとつかふたつは私の判断で割愛したが、それは内容的に標準以下なためではなく時期的にそぐわないと考えるためで、そのすべての責任は私にある。ホワイトレイはいかなる問題に対しても返答を拒絶したことはなく、その答えは真理の響きと権威を有している。霊媒は交霊会が終わるまで質問については分からなかったが、彼女の口から出る返答にはいささかの躊躇もなかったのである。

A.W.AUSTEN



posted by AMR at 21:27| 『ホワイトレイの哲学』 | 更新情報をチェックする

2015年09月02日

『ホワイトレイの哲学』@



whiteray.jpg

"The Philosophy of White Ray"
/Through the Mediumship of PAULETTE AUSTEN
/PSYCHIC PRESS/1948


(編者[A.W.AUSTEN]序文より)その1


 妻と私は一九三八年に新婚旅行でコルシカ島の田舎の小道を歩いていた。すると突然私は横にいるのは妻ではないのに気付いた。その体は見知らぬ者に操られており、その人物は何世紀も前の宗教的コミュニティーにおける生活について語った。私が霊媒と結婚したと気付いたのはそれが最初だった。彼女はフランスでローマカトリック教徒として育ちスピリチュアリズムには反対の立場をとっていて、私の「愚かしさ」をすぐに正してやれるだろうと思っていたのだ。ところが逆に彼女は持って生まれた心霊能力を発達させ、ホワイトレイ(White Ray)の霊媒となった。私は現在地上世界に通信してくる霊のなかでホワイトレイが最も明晰な人物だと思う。
 
 妻ポーレットは私がレポートするような会に出席して興味を抱き、僕ら自身のホームサークルを持たないかという私の提案に同意したのは、結婚してから数ヶ月も経っていない頃だった。そのサークルで彼女は最初の霊視能力と霊聴能力を発達させ、その正しさは私の自動書記能力(それ以降無用化したが)によって確証された。―そしてのちにトランス能力を発達させた。いくつかの価値ある証拠は、当時たびたび一緒にシッティングをしていたレスリー・フリントの霊能によって得られた。実際私たちのホームサークルに現れた霊のすべてはのちにレスリー・フリントの交霊会において直接談話で語り、身元を示す情報の提示と私たちのメッセージの照合とを最も証拠性の高いやりかたで行なった。ローラという霊の場合は、フリントのサークルで発せられる声は妻のトランス下で耳にするものとまったく同じだった。

 妻の霊視能力の初期における証明は私たちがシッティングをしていないときに得られた。彼女は突然あごひげを生やした男性の姿が見えると言ったのだ。
「誰なのか彼に聞いてみて」
すると彼女は彼の名前はステッドよと答えた。妻は知らなかったが、ステッドは私がスピリチュアリズムに足を踏み入れて以来ずっと異なる霊媒を通して私にメッセージを送ってきていたのだ。
「彼はどんな格好?」と私は妻に尋ねるのと同時に、私はステッドに身元が誰かはっきりするような姿を見せて、と思念を送った。そのときは妻はウィリアム・ステッドの名前は一度も耳にしたことはなく、彼が囚人服姿を見せるとは予想もしなかっただろう。
「きっと私をからかってるのよ」と彼女は言った。「彼は受刑者の姿を見せてる」
囚人服は彼が最も誇りに思うものだった―改革のための闘いで投獄されたときの記念品だったのだ。私はその服がフレンドシップセンターのW・T・ステッド図書館の遺品の中にあるのを見ており、それを保存するのに内務省への特別の申請をする必要があったことを聞いている。

 妻のこの霊能のテストはもちろん科学的精査の基準を満たすものではない―私は事実をすべて知っていたので、テレパシーで私から彼女に伝わったことも考えうるからだ。だが次に述べる話はポーレット・オースティンの霊能を通して与えられる証拠性の高い通信のひとつだが、生者には知りえない情報にも死者は通じているいう仮説以外どんな理屈によっても説明はできないだろう。
 戦争中私たちのもとにフランス解放パラシュート部隊の将校が数ヶ月同居していた。彼はフランス解放運動の活動のために、赤十字社を通してのときおりのメッセージを除いては妻や家族との接触を絶っていた。
 この男性は最初は懐疑的だったのだが、私たちのホームサークルに参加し始めた。彼が家を空けてから妻は出産したがその子は亡くなったというメッセージを彼が赤十字社から受け取ったとき、ポーレットのチーフガイドであるローラは彼にその情報は誤りなので心配はいらないと言った。奥さんは女の子を産んで、その子は生きていて元気だと言うのだ。赤十字社からの別のメッセージも先の内容を補強するものだったが、ローラは彼の娘は生きているという主張を曲げなかった。それから地下組織のルートを通して彼の妻から手紙が届いたのだが、二人とも元気だと彼女は書いていた。その娘の写真も同封されていた。
 
 当時うちには常連客として数人の抵抗運動のメンバーが出入りしており、ときに彼らは霊から警告を受け取っていて、それはその後の出来事で正しいことがまさに証明された。いちどその警告が無視され、不運な男性がゲシュタポの手に落ちた。ロンドンには「彼は殺害された」という公的な情報が伝えられた。これもまたローラは否定した。公的な報告は確認されていた―彼の同僚は彼が撃たれるところを目撃したのだ。
「死んでいません」とその指導霊は言った。「彼にはあなた方の祈りがとても必要です、しかし死んではいません。みなさんはまた彼に会えるでしょう」
 私たちは彼のために祈った。戦後まったく偶然に、ポーレットはロンドンの路上で彼と遭遇した。彼は重傷を負ったもののいまだ生存していたのだ。


(つづく)


posted by AMR at 20:19| 『ホワイトレイの哲学』 | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。