2017年08月05日

「諷諌」


森鴎外のヰタ・セクスアリスにこんな箇所があります。


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 間もなく裔一は歸ると云つた。そして立ちそうにして立たずに、頗る唐突にこんな事を言ひ出した。
「僕の伯父の立ち行かなくなつたのは、元はをばの爲めだ。」
「をばさんはどんな人なんだ。」
「伯父が一人でゐたときの女中だ。」
「ふむ。」
「それがどうしても離れないのだ。女房に内助なんといふことを要求するのは無理かも知れないが、訣の分らない奴が附いてゐて離れないといふものは、人生の一大不幸だなあ。左様なら。」
 裔一はふいと歸つて行つた。
 僕はあつ氣に取られて跡を見送つた。戸口に欠けてる簾を透して、冠木門を出て行く友の姿が見える。白地の浴衣に麥稈帽を被った裔一は、午過の日のかつかつと照つてゐる、かなめ垣の道に黒い、短い影を落しながら遠ざかつて行く。
 裔一は置土産に僕を諷諌したのである。



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この「諷諌」したりされたりするシチュエーションは、私たちの実際の生活でたまにあると思うのですが、言葉としての使用を見たのは自分は生まれてこのかたこの文章中の一箇所だけで、使われないのが不思議だといつも思っています。日本人に忘れ去られた言葉という感じです。

しかしすごく味のあるいい言葉だと思います。



posted by AMR at 20:02| 読書全般 | 更新情報をチェックする