2015年11月08日

『ホワイトレイの哲学』H

第4章 霊能発達中の危険 より




―一人で座る危険性についてのあなたの話を読んだある女性からの手紙で、彼女はサークルで(他者と一緒に)座っていますが、一人で座って霊の教師たちが導きを与えるのを考え、期待しているときが一番幸せだそうです。このように一人で座ることは危険なのか、精神的霊現象のために座っていることになるのかと彼女は述べています。



 あなた方の世界で精神的霊現象と呼ぶとき、霊界との愛情を伴う接触であるインスピレーションや導きを受け取れるための、精神を霊界の波長に合わせる力についてのみを指してはいません。彼らは霊視、霊聴、入神についても思い浮かべています。
 それはまったく薦められませんし、サイキックの人が霊能発達のために一人で座ることは実に良くないことです。というのは、すでに説明したように未発達の性質の者が私たちの世界にいるからです。彼らは私たちの世界にやってきたとき、多かれ少なかれ絶えず霧に覆われる非常に不愉快な境遇―それは自らがこしらえたものですが―に置かれ、いきり立ちます。彼らは地上にいたときのように、うわべをみせかけて人々の間に交じり、その雰囲気を楽しむことができないのです。
 たとえ彼らの社会的地位は高かったとしても、自らの誤りを悟り、そしてゆっくりと、しかし一歩一歩霧を晴らし始めないかぎり、霊的地位は真っ逆さまに転落します。その中には地上に赴いてあなた方の心地よい雰囲気をかつてのように楽しみたい者がいます。再び自分を取り戻したいのです。
 突然彼らは霧の中に光―それはサイキックオーラによる放射として説明されていますが―を見出して、自然と彼らは絶望と無知のなかで、その光の中に現れるのです。
 あなた方は物質化現象のためには強力なサークルが必要だという印象を持っていますね。まったくその通りです。しかし同様に強力なサークルが精神的霊現象のためにも必要なことをあなた方は理解していません。私たちはケースごとに人々の力を違って用いるので、異なる波長においてではありますが。それは他と同様に保護を必要とするのです。
 霊媒が責任を持つ指導霊と完全な接触があるとき、彼らの周囲の力とコントロールは十分で低級な者の干渉や侵入の恐れはないと知っているもしくはそう言われているとき、そのチャンネルや通路が防備を固められ私たちの世界へとつなぐ線が不断に監視されているとき、そういった場合のみ安全なのです。
 サイキックの人が力や能力を発達させるために座っているかどうかなどは無知な厄介者の霊にとってはどうでもよいことで、霊能が発達したか否かに関係なく彼らは躍起になって他者に干渉するのです。それはシッティングによってドアを開けるようなもので、外に群集がいると知っているときにドアを開けることが賢明ではないことはあなたは分かるでしょう。その群集のなかに何人かの素晴らしい人がいるかどうかは問題ではないのです。たとえ群集が数百人ほどだったとしても下層界の二、三名が交じっていたなら、彼らは注意の目をうまく逃れて、二度と出て行く意図なく入り込むかもしれません。訓練を積んだ指導霊がその目的のためだけに見張っていないかぎり、望まぬ訪問者の管理は絶対に無理でしょう。
 あなたは霊視や入神のために一人で座るべきではありませんが、集中がただあなたの高次の源と波長を合わせて精神と疲れた体をいっときリフレッシュするためならば害はありません。ときおりの祈りのようなものです。ですが精神を同調するのに集中している間、いかなる霊的現象をも求めてはいけません。単純に魂を高く調和させることです。そうすればスピリチュアルフードがあなたを待ち受けていることにいつも気付くことでしょう。