2015年12月10日

『ホワイトレイの哲学』I


第10章 「クリスマスのメッセージ」より 



 私たちはみなさん一人ひとりを、弱さと強さ、力、そして欠点を含めて愛しています。私たちの本質はみなさんと異質なのでしょうか? みなさんが犯した失敗や、なした成功を私たちは経験していないのでしょうか? 
 私たちは同じ喜びや試練の道を歩いたのです。眼と心を開き、神の力の顕現に同じように驚嘆し、畏敬の念を抱いたのです。みなさんより先に私たちは知識と愛の源泉から力を得ており、そしてみなさんをやさしく見守っているように、私たちもまた先に進んでいる方々から見守られているのです。 クリスマスというこの時期、みなさんは神の最も偉大な子供のひとりが地上へ誕生したことを祝います。その日が他の人々へ友情、親善、親切、寛容、許し、そして愛の思いを送るために使われるならば、誰かがこのときをどれほど祝っても無駄でないのではないでしょうか?
 もしスピリチュアリストを自称するあなたが自ら口にするように霊の世界に信頼を置くなら、もし私たちがもたらせる愛を信じるなら、私たちの言葉やメッセージを聞きにスピリチュアリストチャーチやテンプルに足を運ぶなら、心が成長するために私たちの言葉を記した本を読むなら、その聖なる日にこう自問しはしないでしょうか―

 「私は仲間に正しいことをしているだろうか? それらの教えに本当に従っているだろうか? 私は本当に人を許し、親切で、寛容で、そして霊的であるだろうか―それともただそのフリをしているだけだろうか?」

 少年イエスは大人になって、石をぶつけられたり、霊的な重大性に向き合ったからといって奉仕に赴くのをやめたでしょうか?
 みなさんの多くは自分たちの小さなサークルにおいて、愛する人が身近にいること、そしてまた私たち霊が周囲で見守りメンタルな交流があると知っていることからくる喜びを感じていることでしょう。そんな瞬間にもみなさんよりずっとずっと過酷な試練に直面せざるを得ない人々のことを忘れてはいけません。彼らにとってその道はとてつもなく孤独で寂しいものに思えているのです。
 聖者が生まれたその日に、あなたの内にある神聖なるものもまたすべて誕生させましょう。霊性の本当の理解は最高の喜びを与えてくれたとあなたの魂がひしひしと感じるよう、ずっと以前にあなたに示された神聖な慈愛と思いやりを実践しましょう。


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2015年11月08日

『ホワイトレイの哲学』H

第4章 霊能発達中の危険 より




―一人で座る危険性についてのあなたの話を読んだある女性からの手紙で、彼女はサークルで(他者と一緒に)座っていますが、一人で座って霊の教師たちが導きを与えるのを考え、期待しているときが一番幸せだそうです。このように一人で座ることは危険なのか、精神的霊現象のために座っていることになるのかと彼女は述べています。



 あなた方の世界で精神的霊現象と呼ぶとき、霊界との愛情を伴う接触であるインスピレーションや導きを受け取れるための、精神を霊界の波長に合わせる力についてのみを指してはいません。彼らは霊視、霊聴、入神についても思い浮かべています。
 それはまったく薦められませんし、サイキックの人が霊能発達のために一人で座ることは実に良くないことです。というのは、すでに説明したように未発達の性質の者が私たちの世界にいるからです。彼らは私たちの世界にやってきたとき、多かれ少なかれ絶えず霧に覆われる非常に不愉快な境遇―それは自らがこしらえたものですが―に置かれ、いきり立ちます。彼らは地上にいたときのように、うわべをみせかけて人々の間に交じり、その雰囲気を楽しむことができないのです。
 たとえ彼らの社会的地位は高かったとしても、自らの誤りを悟り、そしてゆっくりと、しかし一歩一歩霧を晴らし始めないかぎり、霊的地位は真っ逆さまに転落します。その中には地上に赴いてあなた方の心地よい雰囲気をかつてのように楽しみたい者がいます。再び自分を取り戻したいのです。
 突然彼らは霧の中に光―それはサイキックオーラによる放射として説明されていますが―を見出して、自然と彼らは絶望と無知のなかで、その光の中に現れるのです。
 あなた方は物質化現象のためには強力なサークルが必要だという印象を持っていますね。まったくその通りです。しかし同様に強力なサークルが精神的霊現象のためにも必要なことをあなた方は理解していません。私たちはケースごとに人々の力を違って用いるので、異なる波長においてではありますが。それは他と同様に保護を必要とするのです。
 霊媒が責任を持つ指導霊と完全な接触があるとき、彼らの周囲の力とコントロールは十分で低級な者の干渉や侵入の恐れはないと知っているもしくはそう言われているとき、そのチャンネルや通路が防備を固められ私たちの世界へとつなぐ線が不断に監視されているとき、そういった場合のみ安全なのです。
 サイキックの人が力や能力を発達させるために座っているかどうかなどは無知な厄介者の霊にとってはどうでもよいことで、霊能が発達したか否かに関係なく彼らは躍起になって他者に干渉するのです。それはシッティングによってドアを開けるようなもので、外に群集がいると知っているときにドアを開けることが賢明ではないことはあなたは分かるでしょう。その群集のなかに何人かの素晴らしい人がいるかどうかは問題ではないのです。たとえ群集が数百人ほどだったとしても下層界の二、三名が交じっていたなら、彼らは注意の目をうまく逃れて、二度と出て行く意図なく入り込むかもしれません。訓練を積んだ指導霊がその目的のためだけに見張っていないかぎり、望まぬ訪問者の管理は絶対に無理でしょう。
 あなたは霊視や入神のために一人で座るべきではありませんが、集中がただあなたの高次の源と波長を合わせて精神と疲れた体をいっときリフレッシュするためならば害はありません。ときおりの祈りのようなものです。ですが精神を同調するのに集中している間、いかなる霊的現象をも求めてはいけません。単純に魂を高く調和させることです。そうすればスピリチュアルフードがあなたを待ち受けていることにいつも気付くことでしょう。


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2015年11月01日

『ホワイトレイの哲学』G

【第四章】霊媒へのアドバイスよりA




 あなたは以前アドバイスされたようなやり方で発達を始めるべきです。まずは決まった時間に頻繁に座ってください。その時間は決して変えてはいけません。私たちが待たされるのが嫌なのではなく、私たちの世界ではその交信の機会のための力をこしらえるのですが、それは遅らせるとしっちゅう無駄になってしまうのです。道具が不足しているかぎりは、私たちは力を浪費したくはなく、人類へその援助をもたらすためできるかぎりすべての力を用いたいのです。あなたは祈りで開始すべきで、それから波長を高めるため幸せな雰囲気を出しましょう―霊は暗い雰囲気には引き付けられません。霊の性質にそぐわないのです。
 審査を待つのでなく、友達を待って座りましょう。私たちは先に歩んだゆえに多くの知識を持っていますが、みなさんを裁くために来るのではありません。私たちもまた同じ試練や困難を経験したからこそ助けにやってくるのです。皆さんを非難したくはありません―私たちの多くは地上時代により善いことをしたわけではないのです。それで私たちは戻ってきてみなさんの過ちを示し、そして私たちが与える知識を通して、どうすればよりよい結果が得られるかを示したいのです。これを話しにやってくるのはみなさんと愉快なひとときを過ごすためではなく、それが私たちの仕事であり、その意図があるからです。私たちはみなさんに正しい道を示すつもりです。
 あなたは霊能養成中は指導霊にできるかぎり強い思念を送りなさい。わが身の利益のために座ってはいけません。あなたは自分のことで思念を送っても、あなた自身のヒーリングのために集中してもよろしいですが、(物的)霊現象や、(霊視・霊聴など)精神的霊現象、その他のためであってはなりません。いつもサークルの中で座り、同じ道であなたより進歩しているサイキックの人から知識を得るよう努めなさい。もしくはより分かりやすく理解させ説明する本を読みましょう。あなたは進歩できることを知ってください。大霊はあなたのすべての仕事、あらゆる計画において共にあるでしょう。今宵築いた接触を通じて、私たちのすべての仲間もあなたを援助し導きます。大霊の祝福がありますように。



―信頼できる道具だと証明された霊媒に対して向けられる賞賛は誤ったものだと思われますか?


 私たちがしょっちゅう感じるのは、あなたたちの霊媒への賞賛はときに過剰、そしてときに過少だということです。あなたがたが覚えておかなくてはならないのは、霊との親交をお許しになったのは大霊だということです。霊媒とシッティングする者も結果を出す霊媒もそのことを忘れてはなりません。このことがなおざりにされないことを望みます。これはあなたがたも分かると思いますが、絶対に必要な注意です。



―心霊能力の賜物は霊媒の霊性によるのでしょうか?


 これは大変重要な質問です。霊性には程度の差があります。物質化霊媒だからといって、彼がトランス霊媒よりも霊性が劣るとは限らないのです。地上にいる者すべてに心霊的な力がありますが、それぞれ違った肉体のつくりと気質を有します。証拠性を与える物質化霊媒はより確固たる放射を必要としますが、精神的霊現象においてはその波長は、地上における濃縮の力は落としながら、より私たちの元へ到達する力があるようにずっと抑制されなくてはならないのです。
 物質化交霊会では私たちはあなたがたの波長に入ってきますが、精神的霊能力ではあなたがたが私たちへと到達しています。ですから物質化交霊会ではあなたがたはよりいっそう地上に接触し、地上のコンディションを得ているのです。それが唯一の違いです。私たちが与える助力は霊媒にとって最適なコミュニケーションのタイプに依存します。彼らを助けるために私たちがやってくるか、もしくは彼らが私たちの元へやってくるのを助けるかのどちらかです。



―あなたは霊媒の肉体のつくりの観点から説明してくださいましたが、しかしたとえば霊視能力者たちが、もし同じ肉体のつくりだったとしたら、より霊性の高い人のほうがより良い道具になるのではないでしょうか?


 もちろんそうです。ですがそれは物質化霊媒にも当てはまります。高等な思想と向上心はやってくる霊に必ず影響を与えます。



―ある人からの手紙です。
「私はしょっちゅうヒーリングの力があると言われるのですが、サークルの中にいても霊の姿を見たり声を聞いたりしません。どうすれば私はヒーリングができるのでしょうか?」


 霊の姿を見たり声を聞いたりするのはヒーラーになるためには不要です。トランス霊媒や物質化霊媒になるためにも必要ありません。癒せるかどうか、やって結果を見てみなさいとだけ私は言います。霊界からやってくる言葉に対して心の窓を開けましょう。「これは私の精神が干渉しているんだ」と自分に言い聞かせないでください。あなたがヒーリングをしている間、あなたの指導霊は精神をブランクにするのを助け、霊界から印象がもたらされるようにしているでしょう。霊視・霊聴ができないからといって落胆しないでください。大霊の意志は違った道筋で働きますが、それらすべては奉仕という同じ結果へとつながるのです。こう言う人がいます。
「私は霊媒として使われるわけはない。霊視も霊聴もできない。入神もできなければヒーリングもできない。霊的な賜物なんてないのさ」
 私はそのような人たちにこう言います。
「あなたは自分で気付かないうちに、しばしば私たちが意図する言葉を広めています。あなたは知らないうちに印象付けられ、霊界からのヒーリングに接触を持たせるために他者に身近な範囲で手を貸したり、迷っている精神を助ける適切な言葉を言ったりしています」
 多くの道で霊のために働くうえで、霊の姿を見たり声を聞いたりは必要ありません。あなたが数名の霊媒から「行って、心や体を病む人を癒しなさい」と言われたならやってみましょう。あなたの仕事に祝福がありますように。


posted by AMR at 22:13| 『ホワイトレイの哲学』 | 更新情報をチェックする