2015年08月09日

『スピリットガイダンス』よりA

「イントロダクション」(一部)




 スピリチュアリズムはある探求者によっては科学、またある探求者によっては哲学、そして残りの大多数の信奉者によっては宗教とみなされている。実際、その三様の見方はどれも正しい。真理の探究という面では科学であり、生き方の規則を教えるうえでは哲学であり、造物主に対する態度を明らかにする面では宗教なのだ。
 
 宗教のあいだでは、それは教理問答や、39箇条や、綱領を有しない点でユニークである。七つの綱領として知られるものが存在するのは事実で、スピリチュアリストが同意する信仰を規定するするものとされているが、しかしそれは法律的要請に合わせるために作成されたもので、それらの意味の解釈は個々人に委ねられている。すべての真理を有することはありえないことを私たちは理解しているので、さらなる啓示を受け入れるための通路は開かれている。
 
 死の向こう側から戻る者たちは私たちを慰め、導くためにそれをするのだ。彼らは愛は死よりも強いことを証明することで私たちを慰める。適切な環境が与えられれば、死して霊界で目覚めた者たちは、地上に残した人々にいずれ大いなる冒険の世界で再会があることを確信させられるのだ。

 だが慰めは彼らのミッションのほんの一部にすぎない。彼らはまた、住んでいる新しい環境を語るためにやってくる。彼らは行った先の世界で、かつて無視され、ときに地上で教えられたドグマと矛盾する事実を発見した。有していた信仰はほとんど重要さを持たないと彼らは言う。ローマ・カトリック、バプティスト、ヒンズー教の信者、もしくは無神論者でさえもほとんど問題にはならないのだが、地上を旅したさいになした善行、悪行の行為が極めて重大に考慮されるのだ。

 死の向こう側で彼らは、自らの行為の責任に耐えなければならないことがわかったと主張する。彼らが犯した罪をかぶる救い主は現れないし、死の床の悔い改めも彼らを罪人から聖人へとは変えなかったのだ。黄金の天国も灼熱の地獄もないことが彼らには分かったし、待つようにとずっと教えられていた審判の日もなかった。
 それに替わり、彼らは美しさと親和性が異なるさまざまの界層に分けられた、秩序立てられた世界があることを知った。まるで不思議な磁石によってそれぞれの魂はなした行為にふさわしい界層へと引き寄せられるのである。だがそれは永久的な状態ではない。その霊界においても進歩や退歩があるのだ。様々な機会が増え、ひときわ親和性の増す世界に入る資格を得ることもできれば、力が制限され、周囲の美しさも劣る世界へと落ち込むこともありうる。

 他界で発見したことを話すために交霊会に戻ってくるそういった庶民的男女に加えて、スピリチュアリストは指導霊と呼ばれる存在からの教えとアドバイスを受けとれる利点がある。彼らは我々が死後の世界に備えるためにはどうすればベストかを助言し、そしてこの地上世界に秩序をもたらすことができるであろう霊的法則を語るためにやってくる。彼らはそれらの法則に我々がよく注意を払い、それによって新時代の幕開けを早く招来させるよう促すのだが、確実にいつかは来ると言われたその暁には、もはや戦争はなくなり、人類は互いに尽くしあいながら兄弟姉妹のように生きていることだろう。

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posted by AMR at 05:53| 『スピリットガイダンス』 | 更新情報をチェックする

2015年08月07日

『スピリットガイダンス』より

ムーントレイル

「指導霊の心を痛める霊媒」




私はムーントレイルに、他の著名な指導霊と同様、彼自身が肉体をまとっての地上活動は終わったのかと尋ねた。

「そうです」と彼は答えた。
「私たちは必要な物質的表現のすべてを霊媒から得ます―そしてそれはときに痛烈な心の痛みを伴うのです。もし彼らが指導霊により満足される存在ならば、大衆にとっても満足されるものだと多くの霊媒によって言われています。いまだかつて指導霊に十分な満足を与える霊媒がいたためしはありません。上から目線で言いたくはないのですが、十二使徒も当時イエスの心を傷付けましたし、ほとんどの霊媒も指導霊の心をいつかしらは傷付けているのです」

「ですが私たちは決して彼らを見捨てません―変わらず愛し続けます。私たちの道具が頑固・わがまま・ムラ気なとき、彼らが陰にいるあいだ私たちは光の場所へと渡ります。先へ行ってしまうことはなく、歩みを止めて待っています。そして霊媒の人間性が磨かれたころ、また道を渡り近くへやってきてこう言います。
「巡礼者よ、また旅を続けましょうか? 教訓は得ましたか?」
彼らは「はい」と答え、また私たちは一緒に光の中へと入って行くのです。

「それはすべての指導霊にとって同じことです。私たちは霊媒の過ちを誇りに思うことはありませんが、その過ちゆえにもっと彼らを愛するのです。サンクチュアリは罪びとの避難所であって、聖人の像を祀るべき場所ではありません。同じ道を先に歩んだ者だけが後に歩む者を導くことができるのです。最低の下劣さから至高の法悦まで、人間のさまざまな属性を体験させることは、私たちに全音階を奏でられる弦を張ったハープを与えてくれることになるのです」

posted by AMR at 11:58| 『スピリットガイダンス』 | 更新情報をチェックする

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