2017年06月11日

ハリー・エドワーズ 『霊能養成の手引き』より E

初期の発達




 発達の初期の頃は準備されたレギュラーサークルのときだけ座るべきである。初心者のシッターはコントロールされるために決して一人で座ってはならない。適切なサークルにおいて経験を積んだ霊媒が同席する場合のみ座るべきである。座っている際の第一の目的は、瞑想を通じ肉体意識を放棄することで霊的精神が優位になるようにし、精神の鏡に印象を与え、それをシッターが記憶に留めることであるべきだ。
 シッターは指導霊が彼を通し印象を伝達するのをすすんで受け入れなければならない。
 誰の精神も決して空白にはならないのだから、シッターは快適に座り、こだわりは捨て、それから穏やかに何かしらの霊的な想念のたぐいを瞑想し、精神を言うなれば「白昼夢」とか「空中楼閣を描く」というような状態に置く。これを行なうに際し霊的な目的があるべきである。美しい事柄、花、庭園、病人を癒そうとする、人類に救いの道を示す方法を探す、等を沈思瞑想することがありうる。心の内奥では気高い霊的な性質の考えや心像が流入することを待ち望むべきであり、そしてやってきたならばそれを潜在意識で歓迎し、ただそのまま引き続き流れ込むに任せるのだ。このようにして精神は静止しつつ、記憶すべき霊からの心像を受け入れる状態を穏やかに生み出せるのだ。
 ある心の状態から他の状態への不意の断裂はない。それは霊媒の瞑想からの善き想念と霊的始原からやってくる想念との穏やかでムラのない融合だ。たとえるなら二つの思考の流れが合流するようなものだ。両者に境界線はない。霊的通信が最初にやってくるのはこのようなありかたであり、シッターの指導霊からの想念の流入に意識が気付くよう、それを精神の鏡に投影するのである。



2017年06月04日

ゴルフコンペ

先日ゴルフコンペに参加してきました。
途中ザーザーの雨が降ったりしてコンディションは悪かったです。
そして結果も・・・・・・悪かったです(苦笑)

ブービーメーカー賞をいただきました(笑)
皆様お上手な方ばかりで

打ちっぱなし行く時間があんまりなかったのが敗因です
でもちゃんと練習していけば100近くあたりは行けそうな予感・・・・・・


posted by AMR at 10:29| 日記 | 更新情報をチェックする

ハリー・エドワーズ 『霊能養成の手引き』より D

空白の精神




 きわめて多くの初心者は彼らの精神が「空白」(無意識の状態)になるように、そして大多数のシッターはこの状態になることを期待する。この「空白」が意識ある状態に取って替わるまで先に進もうとしない人もいる。この点をはっきりさせよう。精神が「空白」になることはまず不可能である。この状態を意識的に生み出せる者は誰もいない。私たちに意識がある以上、精神の鏡は何らかのありかたで映し出されているはずなのだ。睡眠時でさえ私たちの精神は100%無活動ではなく、音や肉体的刺激に気付く。精神の鏡は決して空白にはならない―麻酔下においてさえ精神は機能している。夢は精神の活動の結果だ。夢では心像が鏡にときに不条理な形で投影され、思念が自分のコントロールを逸脱して放縦に展開する。それらの印象が強い場合に私たちは覚醒時に思い出すのだ。
 霊媒の中には、その能力をロマンティックに見せたり威光を高め強く印象付けたりする目的で、彼らの精神はトランス時やコントロール下において完全に空白になり、「起こったことは何も覚えていない」と言うかもしれない。その発言を文字通りは受け取りにくいのだが、何事にも例外はあるので全否定もしがたい。霊媒がトランス下で起きていることに完全に無意識になるのは「物的霊媒現象」のようなきわめてまれなケースだけというのが私の意見だ。
 実際はその間逆で、コントロール下の霊媒の精神は緊張し、指導霊が精神を用いるのに従いその働きは迅速に、過活動に、過敏になるというのが真実なのだ。通例トランス下の霊媒はいかなる不意の音や刺激に対してもきわめて脆弱になり、反応は一層痛烈になる。大事な点は、霊の影響下でなされたことや言ったことに対し責任はないにせよ、起こっていることは常に分かっているということだ。
 そういうわけなので、初心者は空白の精神は生み出せないので、得ようと執着すべきではない。